何より映像だとヒロイン、エリザベスが旅するイタリア、インド、インドネシア(バリ)、それぞれの土地の魅力が本当にダイレクトに伝わってきます。そして久々に観たジュリア・ロバーツがまだまだ魅力的なのにもビックリしました。・・・DNAと骨格の成せる業でしょうか(笑)。
ただ、原作ではしっかりと書かれていたリズの「愛されることに依存しすぎて自分を見失ってしまった」絶望感、そのなかでスピリチュアリティを求めだす真摯な気持ち、インドでのアシュラム修行が映画ではかなり省かれているので(映画では、インドで彼女は瞑想よりリチャードやインドの少女を通して気づきに導かれるという感じに描かれているけれど、実際にはガチで瞑想やったりするんですよ)、全体的に軽い感じになっていて、原作の「こころを統合させる旅」という側面が正しく伝わらず、人によってはヒロインに共感できないかも知れません。
スピリチュアルなものの見方というのは、とかく世間一般では否定的に見られやすいところもあるから、彼女のことを自己中心的な甘チャンで、しかも一年かけて世界を旅する余裕があるなんてとても恵まれた人だと思う人もいるでしょう。
確かに彼女にはそういう面もあるし、彼女の友人が「良い妻になろうと努力していたあなたと、離婚して瞑想している今のあなたは結局同じなんじゃない(ズレた無駄な努力をしているのでは!? というニュアンスかな)」「一年もかけて世界を旅して、何も変わらなかったらどうするの」と言ってくるのだけれど、これはもう一人の彼女の声でもあるでしょう。
でも、それでも彼女は自分の内なる欲求に従うことに賭けるのですね。ここから人生が変わりだすのです。もう失うものは何もない・・というところまで行ったからかも知れません。
そして、ニューヨーカーの彼女が向かう土地は、理性や合理性よりエモーショナルなセクシュアリティやハートの土地であるイタリアやバリ、カオティックなインドであったのも頷けます。これらの国のエナジーが、彼女の再生に必要だったのですね。
やはり、この映画はある程度スピリチュアルな考え方に開かれている女性のほうが、伝えようとしていることが正しく伝わるかなと思います。
最後、神の愛は見出したものの人間の愛には臆病になってしまったリズに、バリのメディスンマンはあるアドバイスをします。これがとっても素晴らしいですよ!