2011年2月10日木曜日

Oshoの「新瞑想法入門」から、闇についてなど

最近読んだOshoの『新瞑想法入門―和尚の瞑想法集大成』という本のなかに書いてあったことを、少し抜粋してご紹介します。

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まずは「第11章 闇の瞑想」から闇について書いてある箇所から。

暗い土のなかで生をスタートさせる種子や、暗い子宮のなかで生をスタートさせる子供のように、ものごとの始まりはすべて闇のなかにある。なぜなら、闇は事の起こりにきわめて不可欠なもののひとつだからだ。

「始まり」は神秘的だ。それゆえ、闇が必要とされる。「始まり」はきわめて繊細だ。それも闇が必要な理由だ。「始まり」はまた、とても深い親密性のなかで起こる。そして、それも闇が必要な理由だ。闇には、深くて途方もない滋養力がある。だから、昼は疲れさせるが、夜は人を若返らせる。

朝が来て、昼になる。だが闇を恐れていれば、昼はけっして訪れない。闇を飛ばしたければ、昼は不可能だ。夜明けにたどり着きたければ、「魂の闇夜」を通過しなければならない。死が始めにあり、生がそれに続くのだ。

ふつうは、誕生、それから生という順序で続く。が、内なる世界、内なる旅では反対だ。死が始まりで、生がそれに続く。

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次に、「第5部 師への質問」のなかから、瞑想の段階で自分がまるで他人のように感じられるようになってしまった・・という質問に関しての返答の一部。瞑想をしていなくても、なんとなく方向性が見えない、燃え尽き感があるような人に響くところがあるのでは・・と思います。

・・・あなたは道に迷い、「自分が誰か」も知らず、見知らぬ他人のように感じる。以前は「自分が誰か」を知っていた。名前、姿、住所、銀行預金・・何もかもが確かだった。それが自分だった。自我(エゴ)に自己同一化していたのだ。いまや自我(エゴ)は消滅した。古い家屋が倒れつつある。そして、あなたは「自分が誰か」、自分がどこにいるのか、わからない。何もかもどんよりと曇り、以前のような確かさがない。・・

・・・禅に名言がある。もっともすばらしいもののひとつだ。
「人が世間で生きるとき、山は山、川は川だ。瞑想に入ると、もはや、山は山でなく、川は川でない。何もかもが混乱し、混沌となる。そして人が悟り、サマーディを成就すると、再び川は川、山は山だ」

・・・自分が見知らぬ他人に見えてきたら、祝い、感謝することだ。このような瞬間はめったに起こるものではない。楽しみなさい。楽しめば楽しむほど、確かさが近づいてくる。どんどん速くなってくる。あなたの奇妙さや、家なしの根無し草であることを祝うことができれば、突然、あなたは我が家にいる。第三段階がやって来たのだ。

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