2010年8月21日土曜日

出来なかったことより出来たことを

最近つらつらと考えていたことがあります。それは「人は執着なしに願望を抱き続けることが出来るのか!?」ということ。
願望実現系の本でも、必ず「最後は執着を捨てる」ことの大切さが書かれています。

願望=「○○になったらいいな・・・」という思いには、やはり「期待」の感情があると思います。
でも期待という言葉にはあまり深刻な感じがなく、「叶ったら嬉しいけど叶わないならまあそれでもいいか?」くらいの余裕があるようにも思います。
ということは、「期待」で済む願いはそんなに強い願いではないのかも知れません。

願いの中に「どうしてもこうしたい、こうなって欲しい・・・」という強い強い思いがあると、それは期待の軽やかさを失い、「そうならなかったらどうしよう」という、恐れや不安の混じる「執着」という形に変化していきます。
不安を感じるということは、ハートの奥では容易ではないという答えを、既に得ているのかも知れません。

だからと言って諦めはつかない。そして、そこに天使とは違う人間の美しさがあるとも思います。成長するという可能性を持っているところが、天使とは違う人間の力です。

そして、執着を捨てるだけでなく、願いが実現しなかった時のために「今はわからなくても、いずれそうなった理由がわかる。時間がたてば、全ては最良の流れにあることがわかる」と書かれています。

これらは共に真実ながら時にとても難しく、残酷なことをあっさりと書き過ぎているようにも感じます。

だからこそ、思うようにいかない自分を責めて暗闇に長く迷いこまないように、人生のままならなさという側面に呑まれて燃え尽きてしまわないように、
「出来なかったことより、出来たことに意識を向け、祝福していく」こと、
「やれなかったことより、その時自分は精一杯やっていた」ことに意識を向けることは、人生を幸せに生きるために本当に大切なんだと最近はしみじみ感じています。