2013年7月25日木曜日

必ず誰かの役にたてる


スピリチュアルなことを仕事にしたいと思う時、「これこそ私の使命」という気持ちで始める人もいるかも知れませんが、「私なんかがやっていいのだろうか」という思いのほうが強くて、なかなか一歩踏み出せない人も多いのではないでしょうか。

どうしても、こういう仕事は何かの"特別さ"が必要なのではと思ってしまいます。私もそうでした。例えば生まれつきの強いサイキック能力があるとか、臨死体験をきっかけにサイキックに目覚めたとか、とても苦労をしてきたとか、人生経験が豊富でないといけないのではないか・・・とか。

でも、今私なりに言えることは、まずサイキック能力が優れている人=人間的に優れている人ではありません。これは言うまでもなく・・・なのですが、どうしてもそのように誤解しがちな面があると思います。
それは生まれつき運動神経が良い人、数学ができる人、手先が器用な人、美的センスが優れている人がいるのと同じようなもので、ちょっとした特技や才能の一つに過ぎません。

どんなことにも言えることですが、何かに秀でた才能があったとしても、その能力に胡坐をかいていたり、自己中心的でエゴイスティックな生き方・使い方しかしなかったり、能力を活かさないような生き方を何年もしているのなら、謙虚な気持ちで研鑽し続けた人にはかなわなくなるでしょう。

また人生経験が豊富なことは素晴らしいし、それをもとに有益なアドバイスが出来る面も確かにあると思います。

けれど「相手の」経験していることに本当に寄り添い、考えてあげられるかはまた別の問題なんじゃないかな。むしろ「自分の」経験が邪魔する可能性だってあります。経験がないほうがわからないぶん真剣に耳を傾けられるかも知れず、その真摯な態度に人は感動したりするものです。

また、様々な出来事の根底にある苦しみの感情や葛藤の思いは、ある意味シンプルで普遍的なものであり、同じ経験をしていなくても痛みや苦しみは十分共感できるし、理解でき、何か伝えることはできるのではと思います。

「自分は苦労していないから…」と言う人がいますが、苦労していない人のほうが聞く姿勢があるように思います。歪みなく相手の苦しみを受けとめることができると言うか。

それから・・・私が知る限り苦労していない人というのは本当はいなくて、そんな風に思える人は自分がどんなに苦労したかを延々と語る人より、出来事を心のなかで咀嚼しようとする、謙虚な人なんだと思います。

そして経験豊富だったり著名であったりするサイキックやヒーラーから山のように的確な情報をもらったり、たくさんのアドバイスをもらっても、それがハートにずしんときて、いつまでも心の支えに必ずなるとは限らないんです。この仕事を始めたばかりの、まだ自分ではつたないと思っているリーダーの、数少ない情報とメッセージのほうがずっとパワーを持つことだってあります。だからどんな人でも誰かの役に立てると私は思っています。

私も経験を積んでも、謙虚さを残すために、常に初めて取り組むような気持ち、どこか真っ新な気持ちを残しておきたいなーといつも思ってます。

irise(イリゼ)HP エンジェルリーディング&サイキックリーディング・ヒーリング、天使との繋がりを強める個人レッスン